京都・鴨川散歩のついでに

2015年1月10日
今年もよろしくお願いします。
京都は正月から61年ぶりという大雪…といってもせいぜい20㎝ほどの積雪、元旦の雪は10cmほど、2日午後友人と会うために二条駅まで迎えに行き夕方まで走ったが、雪の影響はもうほとんどなかった。3日に昨年やり残した仕事の最終打ち合わせに仁和寺近くのお客さんに会いに行く予定だったのでこれなら大丈夫だなと、家に帰り新年特番の毎年くだらないテレビなど見ながらうとうとしていたら、知らぬ間に外は雪景色、しんしんと降り続いている状況で3日の午前中に動くのは控えた方がいい感じだったので3日の約束を4日に変更してもらった。まぁ正月三ヶ日からお客さん訪問も気が引けていたのでちょうどよい口実になった。
毎年12月中旬にはスタッドレスに交換しているのだが、ここ3年私のスタッドレスは雪を踏んだことがなかったので今年はもういいだろうと交換していなかった。そんな時にこんな雪とは、今年も出足から不運な一年になりそうだ。
ということで散歩のついでに雪景色など撮ってみる気にもならず、何よりパン屋さんがお休みでゲベッケンのお姉さんにも会えないのでは気が進まなかった。というたかが散歩に出るのにこんなんじゃ先が思いやられる年明けだった。

10日、明日は女子駅伝、午後からのスタートなので丸太橋辺りで応援しようと思ているのだが、今日も暇なのとパン屋のお姉さんを拝みたくなってぶらっと出かけてみた。
東山郵便局に本人確認郵便物を取りにいかなければならなかったので東山通りを五条まで行き五条橋から鴨川河畔を歩くことにする。
智積院は何を公開しているのか知らないが、特別公開中らしい。
京女のいわゆる女坂を過ぎ
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妙法院
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妙法院を過ぎると3~4年前までJT京都病院があったが、JTが手放し、現在外資系ホテルの建設中である。JT京都病院に当時腕利きの整形外科医がおられて、毎年中国地方からわざわざ農閑期になると腰や頸椎の手術に来られる人気の整形外科医であった。私も30代半ばにぎっくり腰かと思い1週間ほど鎮痛剤を飲みながら、自宅療養してみたが寝ていても痛い、トイレに行く数分間起きてみるがこれがまた激痛で再び寝ても激痛は数十分続きまた普通の痛みに戻るという日々を過ごした。鎮痛剤も何とか効いているのは1錠で1時間ほど1日3錠までの制限だったから1日のうち痛くないのは3時間ほどと痛み疲れで寝ている間だけという悲惨な1週間を耐えたが、さすがに1週間も続くと精神的に耐えられなくなり思い切って手術してもらうことにした。思えば、前年の9月に前鬼川で滝から転落し足首の小さな骨を折って這って帰ってきたことがある。左足だったので手術後1週間ほどでギブスをしたまま仕事をしていた。どうやらそれが祟ったようで腰の手術の前の検査でかなり大きなヘルニアの造影を確認された。内視鏡手術もあったようだが、脊椎の神経が束になっているところなのでその先生は大きく開いて確実にヘルニアだけを除去する方法を専門にされていた。腰の手術となると運が悪ければ歩行できなくなり車椅子で残りの人生を過ごさなければならないというリスクが当時はまだまだ残っていたので不安はあったが、この激痛を何とかしてほしいという思いが強かったので即手術をお願いした。
手術と言えばまだ20代前半に中学くらいから出ていた脱肛、いわゆる出痔が悪化し手術で切ったことくらいだ。まぁこの脱肛の手術が辛かったこと。手術台に乗るとあおむけで両足を腕で抱え込み肛門を出す。誰も介助はなくそのまま自分で足を抱え込んだまま肛門の周りに麻酔の注射が打たれる、これがかなり深く刺されるようでグッグッグッと刺して来られる時点でもう耐えがたい苦痛、多分麻酔が効いてからは出たものを切除して縫合していたのだろうが、その間ずっと足を抱え込んだままの態勢を保たなければならず、最初の麻酔の注射とこの姿勢を保つのがものすごく苦痛な手術だった。「もうだめです」を連発すると「ここで止めるか」と脅され限界を超える苦痛の末やっと終わったころにはもう放心状態であるのに自分で歩行して手術室を出なければならないのである。そこは専門医で入院患者はみんな同胞、で同じ苦痛を味わった人たちばかりで手術室を出るとみんなが介助してくれて布団に寝る。ベッドではないのだ、畳敷きに布団、起きるのも寝るのも切ったところが痛くて辛すぎた。で、この手術の本当の試練は翌日からであった。トイレは和式、排泄後消毒というのが手術後の唯一の処置なのだが、この排泄が猛烈に痛い。昨日切ったところから排泄しなければならないから傷口をいたぶりながら治していくのである。何ともサディスティックな手術だったが、退院後の爽快な毎日は素晴らしかった。学生の頃から出だすと歩いているだけで出る。体育の授業中に出ると堪らなかった。痔が出たので…など若者に言えるはずもなく、せめてトイレを申し出て押し込んでくる程度。がまたすぐに出てくるといった辛い目を味わっていたのだったが、もっと早くこんな不要なものは切ってしまっていれば貴重な青春をもっと楽しめたに違いない。
旧JT病院の前を通るとヘルニアの手術を思い出すが、私の場合、急性のヘルニアだったので手術後痛みも残らず、その後20年以上経つが再発はない。軽いヘルニアで痛みを我慢しながら長い間保存処置してきた人たちは長い間圧迫されていた神経の回復に時間がかかり、手術しても大して変わらないと言っていた人もいた。手術の是非が話題になることもあるが、不要で邪魔なものは痔にしろ椎間板ヘルニアにしろさっさと取ってしまうのがいい。いらぬ苦痛を大事に持っておくことはない。
そんな思い出のある旧JT病院の前に東山閣という旅館がある。ここはかなりの商売上手らしく、いつも観光バスや車がいっぱいだ。本願寺の参拝客を取り込んでいるという事であったが、本願寺の400回忌の時など地方の信者の方々は檀家のお寺に連れられて旅行がてら参拝に来られていたようだ。商売というと怒られるだろうが、宗教商売ほど儲かるものはなさそうだ。京都はそれに乗っかるのが得策と、かつて拝観料に課税するという議論が取りざたされたが丸儲け商売に風穴を開けられる危機感を持った宗教会に完全にやられてしまったのもしょうがないのかもしれない。
ということで東山閣さんの爪の垢でも煎じて飲ませてほしい私であった。
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郵便局の用事を済ませ、五条大橋から歩き始める、対岸に鶴清(つるせ)という京料理屋がある。歴史ある建物である。
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私のような貧乏人は京都に居てもお茶屋など全く縁がなく、川床など風情を感じることもない。川床なら貴船まで行けば風情ある京都を感じる事が出来るそうだが、それなりのお値段…というかバカ高いので有名である。
まぁしかし、老舗の京料理屋さんはやっぱり大したものなんだなと感心したのは八坂 菊乃井、菊乃井では最も安い夕食コースを頂いたとき、まだ鮎の川取りもの(天然という表現はアユ釣りをするものとしては間違った言い方と思うので)は15cmにもなってない時期にどんな鮎が出てくるのか楽しみだったが、背越しがこの時期一番じゃないかと思ってたら、塩焼きが出てきた。この塩焼きが小さいのだが、その姿かたちが端麗でしかも美味しく焼いてあったのには驚いた。前菜と言っていいのかわからないが、女将さんの挨拶から始まりコース料理の出るタイミングの妙と言い、何とも心地よい間の取り方、もちろん一品一品に手が込んでいておいしいこと、安いコースでもこれだけ持て成されたら満足の域を超えて感謝の意さえ感じるのである。中途半端に安い京料理屋でこんなものかと思われた方は次は奮発してみては如何でしょうか。決して損はしない京料理と京都の御持て成しを感じていただけるはずです。
鶴清を過ぎて暫く、河岸でお弁当をしてらっしゃる方々、対岸のレストランや食堂で食べるよりずっと美味しいに違いない。
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対岸に釣り人発見、パンか何かを投げては様子を見ている。パンに反応する鯉を狙っているのだろうが、鯉が食う前にユリカモメがちゃっかり食ってくる。鯉がパンに反応しだせばフライでやっても面白そうだ。
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賀茂大橋の下の飛び石は子供連れに大人気だ。やっぱり子供ってこうやって外で遊んでるのが一番楽しいんだな。
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葵橋から上流の賀茂川は春先ライズフィッシングにもってこいの渓相である。成魚でもいいから放流してほしいものだ。
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本日の目的地、出雲路橋到着
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3時を過ぎて少し冷え込んできたので寄り道せず引き返す。
国立博物館は現在山陰の古刹・島根鰐淵寺の名宝展を開催中。2月のひな人形展は面白そうだ。
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蓮華王院三十三間堂の通し矢は1月18日、同じ日に向かいの法住寺(だったと思う)で大根炊きが催されるそうだ。

19812歩 13.9km 時速4.4km 距離が伸びると遅くなってくる、マラソンなどとんでもないです。

コメント

  1. アバター画像 og より:

    鴨川ウォーキングを続けているようですが、源流フィッシングのためですか?
    フィッシングの対象がアマゴやイワナからお姉ちゃんに変わりませんように・・・!