思い出の渓

渓流釣りを始めて2年ほどはほぼべったり叔父に付きまとった。
週末ともなれば毎週の如く電話を入れ、打率3割強のペースでメンバーに入れてもらっていたのである。
叔父の当時のホームは奈良十津川水系で下流は上湯川から上流は天ノ川までほぼ網羅していたようであった。
旭川の険悪な入川道を未明の中、危ないから気を付けろと言われながらも気をつける余裕もないほどの速さで下りて行かれ、焦ってしまって5~6m下の川原に転落してしまったこともあった(ずり落ちたので怪我はしなかったが)。
上湯川のウグイに悲鳴を上げながら釣り上がっていると激しい夕立が来て、直後から思いもよらぬほどの大きなアマゴが入れ食いになったこともあった。
あれは本流の風屋貯水池であったか旭川の旭貯水池であったか定かではないが貯水池に流れ込む小さな谷にアマゴが淵淵に群れ成していて持っていた餌のミミズの数ほど釣れまくった。

吉野川大迫ダム上流もよく連れて行ってもらった。本沢川黒石谷の滝群をひぃひぃ言いながら巻くと下流の険悪なゴルジュとは打って変わってなだらかな苔むした玉石の川となりいかにも大物の釣れそうな雰囲気を醸し出しているのだが全く釣れなかった日もあった。
白倉谷はほぼ淵と小滝の連続する急峻な谷であったがその淵淵は深く透き通っていて尺は優に超えるようなアマゴが泳いでいるのだが全く餌には振り向いてもくれなかった。
北俣川本流は川原の良く開けた気持ちの良い渓相で玉石の淵や瀬、岩盤の急流や落ち込みなどポイントには事欠かなかった。
三之公谷も良く釣れるらしいと言いながら北俣川が良く釣れるので三之公谷には1~2度くらいしか入ったことがなかった。

そんな1~2年を過ごす内に京都に住む友人が、どうもここ1~2年休日の度に私がどこかしら出かけてしまっているのでいったい何をしているのかと訪ねてきた。彼は勤め先の上司に鮎釣りを教わり私より少し前から鮎の友釣りに躍起になっていたがなかなか思うように釣れないらしく難しい難しいとぼやいていた。
彼は私より一回り近く年上であったが叔父よりも年下であった。Kが頭文字なのだが、この自伝を進めていけば早計Kという釣りキチがもう一人登場することになるので彼の名はK-1としておこう。K-1は私にとっては好都合なことに由良川上流美山川へよく行くのだそうで京都大学演習林の存在も知っていた。
そのころ叔父もあまりに釣りばかりしていられないようで電話攻撃の打率も1割行くか行かないかといったところ。しかたがないので安曇川上流葛川の支流の芦火谷やら明王谷やら時には京都嵐山の清滝川の谷で梨の木谷とか毘沙門谷、鴨川上流の雲ケ畑などで遊ぶ日が多くなっていた。仕方がないとは言いつつもこれらの谷も結構良く釣れる谷で一人で遊ぶには持って来いの谷であったので美山川のことは少し置いといて話を脇にそらしてしまう。

まずは葛川であるが今は国道367が綺麗に整備され道幅も広くなり、旧道のようにくねくねと川添いに曲がりくねった細い道でバスやトラックなどが来ると離合するにも一苦労すると言ったこともなくなったが整備される時の工事で残念なことに愛知川の茶屋川同様の末路をたどってしまった。この川の本流はもう元へは戻らないだろう。最近よくフライマンを見かけるがなんとも可哀想になってしまう。道と川、どちらも大切だが多くの人は道が大事なんだよなぁ。
気を取り戻して当時の葛川、本流も全川いい川であったが私は当時餌師、谷を好んで入った。芦火谷は皆子山を回りこみ最上流は大原大見尾越へ抜ける谷で京都市内を抜ければ30分もかからない近郊の谷でありながら水量も多く渓相もなかなかでいい型のアマゴやイワナが良く釣れた。小滝やブッシュを抜けて一日がかりで源頭へ出ると尾越カントリークラブへ出た。ゴルフ場ではない、当時はまだ数少なかったフライ専用のポンドである。多分当時、今やバスで名を馳せた下野さんがやっていたと思うが当時はフライに夢中だったようだ。
私がフライフィッシングと言うのを間近で見たのはそのときが初めてで、あの道具ではアマゴは釣れないと気にも留めなかった。
武奈ヶ岳の登山口の明王谷も大きいのがいっぱい居た。この谷も当時と比べると少~し貧相になったが二ノ滝、三の滝などは今でも深い滝壺を作っている。去年などは沢登りビジネス花盛りで小さな谷に3~40人の人を集めて二ノ滝辺りで滝の滑り台遊びなんてやっていたが滑落事故など起こしてまた入渓禁止にならねばいいのだがと心配している。とても綺麗な谷で小さい魚でもよければ今でも良く釣れる谷である。フライで釣りになるのは奥の深谷入り口辺りまでで、以遠は十九の滝と名付けられたほとんど全滝がナメラで滝壺は五右衛門風呂のように丸く掘られ、そこからまた滝となって流れ落ちる滝群である、十九となっているがそんなにはない、十二~三ほどではなかったろうか、これらの滝はほとんど素手では直登出来ない、沢屋さんは是非こんなところに挑戦して欲しいものである。二ノ滝辺りでカラビナやエイト環等チャラチャラやられると見ているほうが恥ずかしくなってしまう。
白滝谷は狭い。口の深谷も狭いし急峻すぎる。谷本流を三の滝まで釣りあがり一旦林道に上がって三の滝上流に再び入る、間違っても三の滝を素手で登らないように。私はこの滝に素手で取り付き途中無理だと思ったが時既に遅し、登れなくなってしまうと降りることなど到底不可能、登り切るしか方法はなくなるのである。蛙のように岩盤にへばりつきぎりぎりの摩擦係数で何とか登り切れたが、あの時はほぼ転落を覚悟した。滑ったら思いっきり滝の岩盤を蹴って滝壺に飛び込むしかない、滝壺まで届けばいいが届かなければ滝の途中に激突する。この滝だけは二度と素手で登る気にはなれなかった。いや最初から直登に興味をそそられてはならなかったと反省している。その日は登り切った御褒美だったのか尺アマゴ2本を三の滝上流で上げた。尺近いのはゴロゴロいる谷だった。

雲ケ畑も良く通った、京産大のグランドから10分もあれば川に入れるので仕事が終わってから出かけることもしばしばであった。この川も割合に広いのでフライマンに何度か出くわしたことがあった。彼らは夕方にはでかい奴が出るよ~と淵に陣取っていたが、雨後にミミズでやれば夕方まで待たなくてもでかいのはもっとよく出るよ~と言ってやりたかったが、何かしらそのスタイルに気後れしてしまって言いそびれてしまった。もうこの川も汚くなってしまっただろうなぁ、当時もそんなに綺麗ではなかったがどうなってるだろうか。
雲ケ畑を詰めて狼峠を越えると魚谷といういかにも釣れそうな名前の谷が灰屋川へ流れ込んでいるので一度やってみようと入ったが数はそんなに釣れなかった。ただ釣れたアマゴはほぼ天然と思われる綺麗な奴ばかりで谷も小さく、こんなアマゴには是非とも世代を重ねて欲しくなりほとんどをリリースした。私がお持ち帰りサイズをリリースしたのはこの時が初めてではなかったかと思うのだが。

きりがないので美山川に戻ろう。当時美山川ならずとも鮎の友釣りは全盛期であった。解禁日ともなれば前夜から場所取りの竿が並び、あちこちで喧嘩が起こるのである。で、その度に聴く言葉が「お前の川か」と言う台詞。確かに誰の川でもないんだがそれってちょっと問題が違うんちゃうん、マナーの問題やろオッサンと鮎には興味のない私には滑稽に見えたものであった。
マナーといえば渓流釣りで最も気をつけなければならないマナー、先行者優先、先行者があればこの先何キロ上流から入っても良いかと了解を得ること。これが最近全く知らないのか知っててやっているのか歳に関わらず平然と無視してすぐ上流に入る輩が多くなってきているが、せめてフライを趣味とされる方々は最低限のマナーは守って楽しい釣りをしましょうね。
美山川芦生の村には当時から演習林入り口にカンパ料金の駐車場があり、我々は一人500円と決めて利用していた。今でもカンパ料金であるがテント泊は禁止となっている。
ここへK-1と車を止め、彼はその辺りの上下流で鮎を、私はトロッコ道を上流へ1時間ほど歩きアマゴをというパターンで何度かやっていたが、どうも鮎の釣れ具合がよくないようで、私が帰ってくる日暮れ時には彼は日陰で熟睡状態という方が多かった。寝てては釣れないだろうと思いつつも年長でもあるし黙っていたが、帰りの車中では鮎が追ってくれなければ友釣りにはならんと不満たらたらで帰ることが多かった。
そんなこともあって私が一度アマゴをやってみないかと言って見たがその年は鮎しかやらなかった。翌年、アマゴが解禁になって暫くしてK-1がアマゴ釣りに連れて行けとやってきた。私はこれ幸いと早速演習林へと案内した。
春の演習林は人気の釣り場で夜も明けやらぬうちから懐中電灯でトロッコ道を数時間歩いて上流へ入る人たちも相当いた。彼らは口々にカズラ谷から、七瀬から、大谷がと奥へ奥へ話が進んでいく、餌師は大体そんな人が多く大抵が源流志向である。
上流へはかなりの人たちが先行しているので初めてのK-1には厳しいかと思い30分ほど歩いたまだ川幅の広い場所から入った。なんとこれが幸いしたのか先行者も無く、結構な型のアマゴが朝一から飽きないほど釣れてくれて釣り上がりの巻きやヘツリがやけに楽しかったらしく、この年ついに彼は鮎竿を持たなくなったのである。
演習林から奥の美山川はまだトロッコ道の枕木もちゃんとしていて枕木を跨いで歩くのがとても辛かった。しかし川は深い流れを作ってウェイダーでも渡れない淵もあったりして大型と出会える予感にワクワクしたものだった。夏場は当時からカワムツやウグイも多かったがそれなりに夏アマゴを楽しめたものであった。