滋賀愛知川神崎川

神崎川へよく通ったのは1~2年間ほどであろうか。今は瀬戸峠道まで綺麗に舗装された道が出来ているが、当時はまだ発電所上流の堰堤までしか道はなかった。終点に車を置き堰堤まで下り吊り橋を渡って対岸の登山道を歩いて上流へ向かうか、風越谷から瀬戸峠を越えてツメカリ谷出会いに下りるかどちらかのルートで中流部へ入るしかなかったのだが、川沿いの登山道は大岩のむき出した岩盤の淵を高巻きする場所が数箇所あり、かなりのアップダウンに加えて岩盤の小谷を通過する箇所は滑りやすく、ツメカリ谷辺りまで行くのでさえかなりの体力を消耗した。川通しでも平水ならヘツリや高巻きしながら行けるのだが時間がかかってしょうがない、釣り上がるのであれば何の苦もないのだがツメカリ谷辺りまでは魚が薄いような気がして、どうしても中流部からの釣りがしたかった。何度も通ったにもかかわらず帰りの高巻き道はいつも迷ってしまい、そのたびに藪漕ぎで元のルートに出るのだが、藪漕ぎの途中で絶壁に出てしまうとどうにもならず、また引き返しては巻き返すという具合で帰り道はもうヘトヘトになってしまっていた。

夏に神崎川にテント持ちで入ろうということになったのだが、そのテントが重たいやつで、これを背負って川沿いの道は到底歩けそうにないから風越谷から峠越えで入いることにしたが、またこの峠が登りも下りも急斜面で、こんなことなら川沿いを登るほうがましではないかと思ったほどだった。白滝谷の下流辺りにテントを張り夕餉の準備を済ませて釣りを始めたがなかなかオカズは釣れてくれなかった。夕方になり塩焼きで一杯というのは諦めかけたのだが、大淵に慣れないスピナーを投げていたK-2にイワナが次々にヒットしだして何とか2~3匹づつの塩焼きは確保できた。
 K-2を紹介しておかなければならない、彼は私より五つほど年下の横浜育ち、K-1の後輩で仕事を辞めて半年ほど引きこもっていた。そんな彼をK-1が引っ張り込んできて、このテント持ち釣行の荷物の一つを分担させたのである。
 K-2は後にテンカラ、フライともに私と同時期に始める事になるのだが、その活動範囲と来たら岐阜、石川、富山、果ては東北月山から北海道まで釣りに釣りまくって行くのである。彼の東北行脚の話の中で今でも記憶に残っている話がある。彼が月山の辺りで適当な川を探しているとどうやらバッテリー上りらしき軽トラに出くわした。我々は自分のためにもいつもブースターケーブルは持ち歩いていたので、救援してあげたところ、たいそう喜んでもらって、京都からわざわざここまで釣りに来たのなら、お礼にいい谷を教えてやるから付いて来いといわれて入った谷が凄かったらしい。一投一投がほぼ皆尺越えか近いサイズで入れ食いってのはこういう状態を言うのだなとK-2は嬉しくてしょうがなかったらしいが、どうもその軽トラのおじさんが申し訳なさそうな表情をしているので、こんなにいい釣りをするのは初めてですと御礼をいうと、首をかしげて「おかしいな」というのだそうで「普段はもっとつれるんですか」と聞くと、なんともはや、そのオジサン曰く、「2尺が出んな~」…唖然としてしまったそうだ。この辺りでは尺など幾らでもいるらしく、2尺が上がらなければ大物を釣ったとはいえないのだそうである。いやはやなんとも所変わればとは言うものの、私も一度そんな谷で2尺とは言わない!尺の入れ食いってのを経験したいものだ。
 そんな彼もその頃はK-1と何度か近場で渓流釣りをしたことはあるという程度で全く初めての釣りではなかったのだが、いきなり重い荷物を担いで急な坂を越えて、降りた川の美しさには感激していたが、肝心の釣りが全く駄目なのに少々むくれていたが、私が淵を攻めるために持ってきた、針を鮎用の3本針に付け替えたスピナーを貸してやると、そいつにイワナが連続ヒットしたものだから夕餉にはご機嫌になり、明日も朝一からルアーで攻めると張り切りだしたのである。
その夜は快晴で、いい気分に酔った3人は、おのおの大きな石の上に仰向けになり、満天の星煌めく夜空を見ながら、そのまま朝まで寝てしまったのである。テントもシュラフもこの夜は不要であったのである。釣りの方はイマイチであったが夜空の美しさを身体いっぱいに感じて何もかも満足できた釣行だったと記憶している。
 吊り橋のかかっていた堰堤下はいい淵になっていてイワナが群れている日があった。5~6mの餌竿ではどうにも届かず、その日は悔しい思いで後にせざるを得なかったので大淵用にルアー道具を手に入れた。当時私は右京区に住んでいて、近くに釣り道具なら海から川まで大体揃うお店があった。ご主人の(これまた)Kさんは無愛想であったが釣りはたいてい何でもこなしていたようだった。実は私はこのKさんにフライキャスティングの初歩を手解き頂いたのだが、その話はまた後日ということで。
Kさんは渓流で使うルアーならこれ!といってスピナーを勧めた、金と銀のブレードのを2~3個購入し、針が大きいので鮎針に交換して神崎川に入るときはいつもザックに入れていた。これが結構神崎川では仕事をしてくれた。神崎川の淵は大きすぎて隠れるものもないので遠投できる道具が必要で遠投→リール→ルアーという短絡的な発想ではあったが淵のイワナを引きずり出すには恰好の道具であった。K-2は一頃ルアーばかりをやっていたほどであった。ただ、大淵の多い川意外ではどうもその使い勝手が悪いというか使い方が分からなかったので神崎川に縁遠くなってからは持ち歩くことさえなくなってしまった。
 フライマンに出会うことが多かったのもこの川を印象深くする一因であった。あの太いラインで釣れるのならこの川には絶好の道具立てだと思っていたのだが、彼らに釣果を聞くと決まって釣れていない、それどころか釣果よりもこうやって釣りをしていること自体が楽しいんだとかのたまうものだからどうも苦手な人種であった。
 ただルアーといいフライといいこの川に通い始めてから餌釣り一辺倒では限界を感じ始めていたのは事実である。そして丁度この頃釣り人社や釣りサンデー、山渓などでテンカラを紹介し始めていた。北アルプスや東北の職漁師達の話など興味深く、一度この釣りもしてみなくてはならないと思い出し、例のKさんのお店でテンカラというものをしてみたいのだがと相談するとフライをやったらどうかと言われたが、どうもその類の人種が苦手だというと、kさんもまあそういう連中が確かに多いがフライは面白いぞ、やる気になったら教えてやるからとそれ以上はフライを勧めなかった。テンカラは独特の歴史を持ち一人一派と言われるくらいその釣り方や毛鉤には多種多様のものがあるのでかなり難しいぞとKさんは言いつつも一通りの道具を揃えてくれた。そのころ既にナイロンのラインを撚り合わせたテンカララインが市販されていたが、このラインは軽すぎて初めてではなかなか思うようにラインが延びないだろうからフライラインの先端をカットしてラインにしたほうが取っ付き易い、このラインにリーダーをつけて毛鉤を結べばいいんじゃないかとアドバイスしてくれた。竿は今使っている餌竿を振りやすい長さに延ばして使えば充分、テンカラが気に入ってから買えばいいという。商売気がなかったのかテンカラなどすぐ止めてしまうと思っていたのかは知らないが、私自身もその程度の気持ちであったから竿は購入しなかった。ただ、毛鉤は自分で巻くほうが色々工夫できて面白いとボビンやらバイスなど安価な物で一通りを揃えてくれた。
 毛鉤の巻き方は雑誌を見て練習したが、なかなかうまくは巻けなかった、それでもなんとかそれらしき物を幾つか巻いてテンカラ仕立てで初めて釣りをしたのが安曇川の明王谷であった、この日どこかの小学校か中学校の一クラスくらいであろうか明王谷の入り口で水遊びをしていてその中の釣りが好きそうな子供ら2~3人が私の後を付いてきた。参った…餌ならともかく初めてやるテンカラを興味津々見られてはやりづらくてしょうがない、連中が付いて来れないところから始めようと谷を少し遡った。ほんの少し遡ったとき「そこから上には行かない様に!」と先生からの天の声がしてやれやれやっと始められると堰堤下の淵のもう一つ下の淵に一投したらポーンとフルヌードでアマゴが飛び出した、合わせるタイミングなど知る由もない第一投目に来てしまったのでびっくりしたが合わせもバッチリ決まり取り込んだのは23cmほどのいい型のアマゴだった。背後で拍手がパチパチと聞こえた、連中は先生の言う事も聞かず付いてきていたのである。初めてのテンカラで第一投目でアマゴを手にし拍手までもらったのに私はもう有頂天になってしまった。堰堤下の淵でまた一尾釣れてしまったが子供たちが付いて来て「それはなんと言う釣りか?」だの「どんな針か?」だの聞いてくるし、これ以上付いて来られては危険でもあるし、第一鬱陶しいので、「危ないからもう帰ろう」と嬉しさいっぱいの気持ちを抑えて如何にも経験豊富なテンカラ師を装い連中を連れて谷を降り引率の先生に返したのである。この先生がまた釣り好きらしく子供たちが「毛鉤で釣らはった」と言うのを聞いて「ほう、どうやるんですか?どんな毛鉤を使うんですか?」と子供たちよりしつこく聞いてくるものだから「いや、実のところ初めてやってみて釣れてしまったのだ」と暴露せざるを得なくなってしまったのだが、この先生「毛鉤ってのも結構釣れるんですね、僕も今度やってみますよ」と言っていたから今頃案外フライにはまっている一人になっているのではなかろうかと、この文を書きながら思い出している。

発電所と堰堤の間に右岸から流れ込むセンコウ谷がある。岩盤の谷でほぼ淵と小滝の連続である。イワナはそこそこいるのだがなかなかすばしっこくて釣れてくれなかった。上流に詰めていくと落差は穏やかになりイワナもまぁまぁのがボツボツ釣れていた。
白滝谷かツメカリ谷か記憶が定かでないが、ナメラ床の続く谷に一度入ったのが、この谷は魚が群れていた。あまりすばしこくない魚影の塊の間を数匹のすばしこい魚が走る。群れていたのはほとんどアブラハヤであった。たまにイワナが走る程度で釣りをしても釣れて来るのはアブラハヤばかり、白泡の立つポイントでさえ釣れて来るのは20cmはあるのではないかという大物アブラハヤであった。
そんなことでこの川は谷ではあまりいい思いをしなかったので本流ばかりをやっていた。
前日から降り続いていた雨の中、K-1と釣りに入った日のこと、吊橋を渡っているとほんの少し増水気味の浅い淵に大きな魚が見えた。これは釣っておかないとと、まず私が餌を放り込むとすかさず食ってきた、慌てた私は針を掛ける前に竿を上げてしまった。だが、奴はまだ淵の流れ込みの辺りで定位していたので、次はK-1の番。一発で食ってきた奴は34~5cmはあったろうか見事なアマゴだった。K-1初の尺であった。
これに気を良くした私たちは雨のことなど全く気にせず上流へ向かったのである。白滝谷を越え天狗滝手前辺りまで結構なイワナとアマゴがよく釣れたので次第に増水の増す川に気が付かなかった。急に木の葉が異様に流れてきだしたのにハッとしてK-1に「帰れるかな?」というとK-1も少し不安になってきたという。これは今帰らなければ危ないと慌てて引き返し、途中、川を渡らなければならない場所を何とか渡りきってホッとした。登山道を下りて吊り橋に戻ったのは2時間もかかっていないくらい急いで帰ってきたのだが、吊橋を渡るときにゾッとしてしまった。普段は吊橋から川まで5~6mはある高さなのだが、その時すでに増水した水面からは3mほどになってしまっていたのである。我々が釣りをしていた付近ではシトシト雨であったが上流ではかなりの量の雨が降っていたのだろう。もう少し遅れていたら川を渡る場所で立ち往生しているところであった。吊橋を渡りながらこの神崎川の恐ろしさを思い知らされたのだった。