自然の中に身を浸す

私などは生まれた場所がもともと自然のど真ん中であったから山や川など物心付いたときには生活の一部という感覚で毎日毎日山に入り遊び場を開拓したり山の資源…雑木や竹、蔓などを加工して遊び道具にしたり、森や林、野原の形状を利用してさまざまに楽しみを見つけたりした。冬場は野鳥を捕獲する罠をかけたり、雪が降れば竹を加工してスキーの真似事やそり等で遊び、夏は川に入りヤスで魚を突いたり、一升瓶を加工して小魚を獲るモンドリのような仕掛けをかけ、獲れた小魚を餌に鰻を獲るはえ縄のような仕掛けを夕方仕掛けて朝一回収に行く、もちろん今や百貨店でも売られている昆虫獲りや四季折々に実る木の実や山菜なども取りに行ったりとサルのような幼少期を過ごしてきた。
この頃というか、ずいぶん以前から野鳥の捕獲など出来なくなったし、勝手に山に入ると不法侵入と言われるし、そんなところで山菜や木の実や樹木など採ろうものなら大変なことになってしまう。
そんなこんなで山遊びや川遊び、海だって同じで思いもよらぬ事でお叱りを受けたりするので子供の頃のような好き勝手な遊びなど出来ない。
都市近郊の山などは春になると山菜取りが一斉に押し寄せ土地の人たちが大事にしてきた山菜場がむちゃくちゃになったり、植えてあるものまで持っていかれたのではたまったものではないから、勢い入山禁止となってしまうのである。
一人一人が美しい自然を大切に思い、みんなにこの美しい自然を楽しんでもらいたいという思いさえあればそれこそが一番のマナーとなる。それだけのことで楽しい思い出と癒された心を持ち帰れる。

よほど時間のある人、彼女や細君がよほど理解のある人でない限り再々釣りに行けるものではないが、たまには一人で2~3日山に篭ってみるのも楽しいものだ。友人と飲み明かすのも良い。
星が綺麗だなどと普段言いそうにない奴がそんなことを口走ったり、焚き火の火を見つめていると何か懐かしいものが溢れてきたりするので、そんな夜の思い出を眠れない夜に思い起こすと不思議といつの間にか眠りについてしまうのである。
一人の野営もなかなかおつなものである。コンビニ弁当でもいい、出来れば暖かい飲み物かスープなどあれば一層浮世離れできるのである。思うことといえば明日の朝一はどこからやろうかな程度のことなのであるが、そんなことだけ考えていればいい2~3日というのは貴重である。車のライトは消したほうがいい、ランタンも雰囲気はあるが焚き火が良い。炎が小さくなる、新しい薪を足す、又燃え上がる炎の先には降り注ぎそうな星空が広がっている。幸せな時間がゆっくりと流れていくのである。
寝袋に入ると、普段とは違う心地よい疲れに満足感を覚えたりするのである。
何もフライフィッシングや渓流釣りだけの楽しみではないのだろうが、一日釣りをした後の野営は妙に心安らぐものを感じるのである。