飛騨高山小鳥川辺り

飛騨の川へ初めてイワナを釣りに行ったのは渓流釣りを始めて2~3年後のゴールデンウィークだったと思う。
叔父が、高山の小鳥川でいい型のイワナが釣れる谷があると、どこからか情報を聞き込み、3泊4日で行ってみるぞと誘ってきた。
東海北陸道もまだ各務ヶ原から関の辺りまでの短い区間しか出来ておらず長良川沿いの長い道のりを走り、ひるがの高原から荘川を遡り高原のような山を越え小鳥川へ抜け小鳥ダムに流れ込む栗ヶ谷へ入った。
まだ雪が残っていたが雪代はさほどでもなかった。叔父の情報によると栗ヶ谷上流の谷が二つに分かれる右の谷で、昨年かなりいい釣りをした友人がいて尺イワナなんかゴロゴロいるということであった。

早速右の谷へ入ったのだが、雪が深く、しかも堰堤だらけなので堰堤を巻くのにラッセルするのが辛いのと手がかじかんで餌を抓むのも一苦労した事だけは鮮明に覚えている。尺イワナ?…記憶にない。叔父が数匹、古語録谷でもゴロゴロ釣れる様なのを釣っていたような釣っていなかったような。後に「右の谷」という大きな勘違いが解明されるのだが、この時点では叔父はただただ頭を傾げるだけであった。
「右の谷」出合いの大堰堤の林道終点でテント泊まりだったので焚火を焚き、食事はカップ麺と缶詰、イワナの塩焼きとウィスキー、朝はパンとコーヒー、昼はカップ麺。ゴールデンウィークといっても夜の寒さはまだまだ応えた。マイナス10度適温とかいった気の利いたシュラフなど当時持ち合わせてもいなかったので3シーズンのシュラフに毛布を中に敷きこみもぐりこんで寝た。
翌朝、もう一度右の谷をやってみると叔父は言ったが、私は下流の本流をやりたかったので昼にテント場へ戻ることにし二手に分かれた。栗ヶ谷本流は結構な距離があったので最下流まで下りず1Kmほど下った辺りから釣り始めたのだが、すぐにアタリがありグイグイと竿を絞り込むイワナ特有の引きを楽しませてくれたのは25cmほどの奴であった。その後も飽きない程度に釣れてくれて、さすがに飛騨の辺りまで来ると違うなと満足顔でテントに戻ると叔父はシュラフで寝ていた。1時間ほどやったが全く釣れなかったらしい。
私が帰るや否やそそくさとテントをたたみ、もう一ついい川があるからそっちへ行こうという。

小鳥ダムを後に上流へ走り数軒の農家がある集落の橋を渡って林道を走るとなかなか良さそうな谷が見えてきた。すると前方に林道を遮ってゲートが作ってある。そのゲートの手前に車を止めて、ここからは歩いてはいるのだそうだ。
小1時間ほどは歩いただろうか、林道と川が近くなってきた辺りから入ってみた。先行者の足跡も結構あるし、ゲートがあるにも拘らず車が上流から下りてくる。
ミミズでやっていたがほとんどアタリもないので、郡上八幡で仕入れたキンパクを使ってみるといきなり来た。結構なアマゴであった。叔父にキンパクで来たというと、「おう、あれがあったな」と叔父もキンパクを取り出し、それからはイワナ、アマゴが交互に連れ出した。型もそこそこで中には28cmほどの奴や、走り回られてハリス切れする奴もいて楽しい釣りが出来た。そして私は今夜の夕食もカップラーメンだけにならずに済んだとほっとしたのだった。
翌日も午前中はその川をゲートのすぐ下からやり昨日ほどではなかったが、まぁまぁの釣りが出来た。
ゲート付近に張ったテントで昼食を取っていると、ゲートの向こうからまた車が下りてくるのである。しかも名古屋ナンバー、昨日の車は地元の車だろうと思ってゲートの鍵を持っているのだなと決め付けて、鍵をよく見もしなかったが、その鍵はダイヤル式でキーは要らなかったのである。彼らは鍵の数字を知っていたのである。
上流はもっと釣れそうな気がした。鍵の番号さえ分かれば車で奥には入れるのだがとラーメンを食いながら「ちくしょ~」と腹立たしくなった。鍵の番号を教えてくれと言ったら「あかんあかん」と偉そうに言って帰っていきやがったのも腹立たしかったが、このラーメンばかりの食事にも少々苛立ってきていたのである。
何とか番号が合わないものかと暫くダイヤルを順に回してみたが気が遠くなりそうで止めようとした時、叔父が7*9にあわせてみろという。何の看板だったか憶えていないが、その看板の裏に7*9と書いてあるから、もしかしてこの数字かも知れんぞというのであわせてみると、ご名答!開きました。ダ~っとテントをたたみ、上流へ走った。川が二股に分かれた橋の広場にテントを張り、早速叔父は上流へ、私は下流へ。いやいやキンパクの効果は絶大でした。あの名古屋ナンバーはどこを釣っていやがったんだぁ?ん~?まだこんなに釣れるぞぉ!大満足で日が暮れました。で、夕食…「ラーメンも飽きましたねぇ」と叔父にいうと「チョットましなコーヒーでも飲みたくなったな」と叔父も同じだったようで、「高山で晩飯食ってコーヒーでも飲んで戻ってくるか、鍵の番号も分かったことやし」と有難い返事が返ってきた。そんな思い出のある川が片野川である。東海北陸道が近くに通ったので今は綺麗なチャラチャラの砂利川に整備?されております。

森茂川がすぐ近くにある。この川は小鳥川水系ではなく御母衣ダムに流れ込む庄川水系の川である。御母衣ダムから入る道はなく(地図にはあるようになっているが通行不能であった。)、片野川から峠越えで入る林道があった。森茂川は後年になってK-2とよく通った川である。テンカラからフライへの移行期に通っていたので餌釣り、テンカラ、フライの長所短所を学び、それぞれに対するイワナ、アマゴの反応の違いを教えられた。緑深く水清き川で巨大なイワナがK-2のフライを追ってきて直前で引き返され、二人して30分ほどあれやこれやで攻めてみたが2度と姿を現してはくれなかった事を思い出した。
K-2はこの谷でテンカラからフライに転向した。テンカラではなかなかイワナが食って来ないというK-2にクイルボディパラシュートを一度使ってみろと渡しておいたのをテンカラ仕掛けに結んで使ったところイワナがよく釣れたとわざわざ翌日報告に来たのである。そして数日後にはフライ道具を例のKさんの店で一式揃えて行ったとKさんが教えてくれた。その週末から目くそが鼻くそにレッスンするという、異様な光景があちこちの渓流で見られるようになるのである。お恥ずかしい頃のことであるがその頃がホントに一番楽しかったような気がする。フライに反応するだけでワクワクした。出るだけで楽しかった。釣れようものならエクスタシーに達した感さえ覚えたものだった。神崎川で「こうして釣りをしているだけで楽しい」と言ったフライマンの気持ちが分かったような気にさえなったが、彼らはそんな低級な喜びとは違うもっとハイレベルな楽しさを味わっていたのかなぁ。
昨年、AM川に名古屋のRollyさんに御足労頂いた時、この森茂川の事をお伺いしたところ、入り口にゲートが設置され、峠越えの林道も崩壊しているようでなかなか簡単には入れなくなっているとの事である。

ここ20年程で釣行の為の食料調達が随分楽になった。釣りに行くから弁当作ってくれなどとお願いしなくてもよくなったし、深夜営業をしているほかほか弁当屋さんに寄るためにわざわざ高速を下りたり、遠回りでもそのルートを取らなければならないこともなくなった。
飛騨の渓流へ向かう途中の夜中は関が原で高速を下りてR21のほか弁で弁当を仕入れなければ、郡上八幡辺りの釣具屋で有るか無いかのおにぎりが買えるかどうか賭けのような調達事情だったが、郡上八幡にコンビニが1軒出来、次の週にはその先にもう1軒、次の週には白鳥の手前にもう1軒…そんなに矢継ぎ早ではなかったが、我々にはそんな感覚でドンドンコンビニが出来て一番最後のコンビニで弁当を買おうとまだ先まだ先と通過していると、結局最後のコンビニまで通過してしまって引き返さなければならないというバカな事をしていたものだ。今や入漁券までコンビニで買える。村の雑貨屋さんでパンとカップヌードルを買い厚かましくお湯まで頂くことも無くなったし、夜も明けやらぬうちから券売のお宅を探したり、起こしたりする気づつなさもほとんどなくなりコンビニ様々といったところだろうか。ただ、現地での滞留というか接点がほとんど無くなり生情報を仕入れるチャンスもなかなかなくなってしまったのは残念である。

そんなGWを過ごした年の夏、盆休みにもう一度栗ヶ谷へ行くことになった。谷沿いの林道を走っているとバンバンとアブが当たってくる。今も昔も変わらないのはアブのしつこさだけである。GWに「右の谷」と聞いてきたのは上流から見て右、要するに右岸左岸の感覚で右の谷と教えてくれたそうで向かう方向からは左の谷だったのである。この左の谷が二股から入ると高い堰堤が3つも4つも連続していてGWには入る気にもなれなかったのだが、この谷は最初の堰堤下からよく釣れた。初日は堰堤4つほどを攻めてみたがまぁまぁのイワナが塩焼きには充分すぎる程度は釣れたので、翌日への期待は大いに高まっていた。
ラーメンには懲りたので今回は素麺だの味噌だのバーベキュー用具だのしこたま積み込んできていたので夕餉の準備は忙しかった。
イワナをぶつ切りにしてキャベツと一緒に味噌汁にするとなかなかのものです。白焼きにしたイワナを使えばもっと美味しいかもしれない。肉もたっぷり、ビールも冷やして、今回の釣行は夕餉も楽しい、アブさえいなければ…。夕餉の準備の最中にアブがえらい勢いでたかってくるので、まずはアブ退治に小1時間ほどかかってしまった。尺イワナがゴロゴロ釣れるというので、いつもは持ち歩かないタモを持ってきていたが、これがイワナの前にアブ退治に役立った。とにかく凄い量のアブなのでタモを2~3度振ると結構獲れる、その塊を握りつぶしては捨て…を繰り返しているとまぁまぁ我慢できるほどの数になってくるのである。アブの死骸が下流へ流れて行き淵で滞留していたのだろうか、バーベキューの準備をしていると下流の淵でライズの嵐が起こっていた。昼間に餌を流したが何の反応も無い淵であったがあれだけの数のイワナが居るのかと驚くばかりで、今の私ならフライを放り込みに行くところだが、当時はミミズを流す気も起こらなかった。
日も暮れてアブも静かになったところで森に囲まれた渓流のほとりで自然いっぱいの贅沢なディナーの始まりである。昼間の暑さが嘘のように涼しい風が通り過ぎ、焚火にかざしたイワナの塩焼き、火に照らされる叔父の嬉しそうな顔、やはりイワナは夏に限る。

翌朝、先行されると台無しと早くから起き出し、コーヒーもそこそこに4つ目の堰堤の上から釣り始める。4つ目の堰堤下でイワナの滝登り、いや堰堤登りを見たが凄かった。堰堤は4~5mの高さだがイワナは2mほどジャンプして堰堤から垂直に流れ落ちる水の中に突入する。そのまま落ちる奴もいるのだが、中には突入後垂直に落ちる水流を泳いで登ってしまうのがいるのである。奴らには縦だろうが横だろうが全く関係ないのだろう、水さえ流れていれば泳げるのである。それにしても垂直に泳ぐイワナというのを見たのはこの時が初めてだったので驚きを通り越して畏敬の念さえ覚えたのだった。
4つ目の堰堤を過ぎ、また谷が2つに分かれる右へ進むと5つほど堰堤が続くが、この間も堰堤下でボツボツ釣れるものの尺には全く及ばずゴロゴロというほども釣れなかった。アブの猛攻も激しく少々嫌気がさしてきた頃、5つ目の堰堤を越えて暫くの辺りからアブがほとんどいなくなった、かなり高度を上げていた。アブがいなくなって、代わりにイワナのアタリが増えてきた。大きな石が落差を上げて積み重なり、谷の上流を見上げると背の低い広葉樹林が両岸からV字に谷まで押し寄せ、遠く谷の先端は空であった。そんな景色が見え始めた辺りからポイントごとに型のいいイワナが釣れ出した。尺近いのもちらほら出だしたのである。
叔父はその日イワナの引きを楽しむのだとへら竿でやっていたが、かなりの大物を掛けて石にもぐられ、とうとう出てこなかった。へら竿を硬調の渓流竿に持ち替えてからは一投一尾、しかも尺前後がほとんどだ。いやはや物凄いことになってきたなと、二人で釣りまくったが、もうイワナだらけという表現しかないような状態であった。主流からチョロチョロと脇へ流れる水が小さな水溜りになっているような場所でも食ってくるような有様で、尺がゴロゴロという情報に間違いはなかったのである。
K-2にこの谷を教えたのだが、その後の3年間くらい彼はこの谷に魅入られた如く通い詰めていた。私もその後K-2やog氏と何度か入ったが、最初のような釣れ方は無かったどころか、先行されてほとんど釣れない日もあった。土日は先行争いの激しい谷でもあったようだ。K-2は釣りに行く為に再就職し月に2度水曜に休日がある職場に入った。水曜の休日はほぼこの谷に行っていたようで、そのたびに入れ食いの報告ばかりであった。始めの頃は尺の入れ食い報告ばかりであったが、2年3年と経つうちに平均サイズが25~6cmになりあまり釣れなかったという報告も目立ち始めた。
もう何年もこの谷には行っていない、東海北陸道のトンネルが開通したというニュースがつい最近流れていたが、この谷の辺りではないかと思っているのだが、まだ地図で確認していない。片野川と同じような状態になっていなければいいのだがと思うばかりである。

やっと見つけた地図を見るとやはりこの谷(栗田谷と記憶していたが栗ヶ谷だった)の上か地下を東海北陸道が貫いている。イワナ達が元気に泳いでいる事を願う。